荒木満福寺について

本堂

荒木満福寺の歴史

-起源-
承久元年(1219年)源海上人により武蔵国荒木(現在の埼玉県行田市)に創建されたのがはじまりと伝わっております。十五代海應上人の時(1620年)当時帰信を受けていた伊勢神戸領主一柳氏に従い、伊勢神戸へ移り寛永十三年十六代寂應の時、一柳氏が西条藩を立藩するにあたり西条に移ったとされ、一柳氏や後の藩主松平氏の外護により栄えました。

-西条藩と荒木満福寺-
現在の荒木満福寺の本堂はその昔は太子堂として使われていました。当初は本堂、太子堂、鐘楼があり、太子堂は松平初代侯母堂が所持仏としていた太子像があったことから太子堂と呼ばれ、鐘楼は当時、時報の鐘をついていたそうです。本堂は十三間四面(約350畳)の大きさでしたが、地震によりこの本堂が全壊し代わりに太子堂を本堂として使い始めたと伝わっています。松平氏により葵の紋の使用を許され今も随所に残されています。西条藩陣屋にあった西御門は現在、荒木満福寺の山門となっております。

  
太子堂 西御門

真宗とは

宗祖 親鸞聖人(しんらんしょうにん)は9歳で出家するも迷いや煩悩が消えることはありませんでした。 しかし、法然上人をたずね「全ては念仏で救われる」という教えに出逢ったことで信心の大切さを知り布教をはじめられました。自身の心の中の「信」を見つめ一心に「念仏」すると阿弥陀如来は必ず救いの手を 差し伸べてくださる。信心を持つことで、あらゆる人々が平等に救われる教えは多くの人を導き今日まで伝えられています。

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